改めてDress for Twoの誕生ストーリー
Dress for Two日本側の岡本望です。
今回クラウドファンディングを始めるにあたって、いろーーーんな思いを込めたこの活動のはじまりのお話を聞いてください。
https://readyfor.jp/projects/dressfortwo
↑クラファンはこちら
Dress for Twoの誕生までのお話です。
これは、とある日の化学反応で生まれました。
大学時代のフラメンコ仲間。ルワンダ側山田美緒ちゃんの提案からスタートしました。
彼女はいまルワンダで日本食レストランと宿を経営しています。
そして、その日本食レストランを経営しながら、現地スラムに住むシングルマザーたちを雇用し、職業訓練をし、現地のコミュニティの幼稚園の運営をし、日本人の学生たちのための海外ボランティアプログラムを提供し、(ほかにもたくさん)、コミュニティのためと経済活動と全力で活動しています。
ある日、大学卒業頃、私たちは会っていなかったけど、ルワンダ側の美緒ちゃんから一通のメッセンジャーが飛んできます。
「一枚の布をはんぶんこして、日本とルワンダを繋ぎたい」
そして、
「チャリティではなくビジネスで!!!」
その当時、私はシングルマザーになり、自分の生き方を考えていた時でした。
そして、本を読み漁り、講座に参加したり、何でも試しながら自分を整え、生き方を考えまくっている時期でした。
美緒ちゃんの提案に、これは!!!!と、ときめきました
なんかめっちゃ素敵なことできるぞ!と、一瞬で、おしゃれした女性たちが楽しそうにしている輪の中にいるイメージが目に浮かびました。
その1年前、離婚を決意したころのお話にさかのぼらせてください。
私は普通のアクティブ目なママでした。
ママという範囲で、良妻賢母で、義理の家族とも仲良くして良好な関係を保つという制限内で、最大限じぶんらしくあろうとずっと模索してきていました。(ちなみに元姑は、結婚後に仕事することに対して反対。例えば、子どもの洋服がほつれていようもんなら、数時間単位で怒鳴る。他の家事も推して知るべし)
そしてその生活は約10年続いたのですが、姑の過干渉と人間性を否定する言動が激しさを増してきて、ストレスで心身共に限界を超えたとき、当時の夫にごめんだけどこれ以上は口を出さないでほしいってひとことくぎ刺してもらっていい?ってお願いしました。
が!!!それこそ元旦那自体が糠に釘。
何回話しても、私のことよりおかんの顔色という結論に至る。
ファイナルアンサー?と、何度か聞いても、即答でYES!
ストレスでビールと人参以外口に入らなくなり、どんどんやせ細り、涙が止まらなくなり、冷たい底なし沼に落ちていくような感覚を味わいました。
自分の感情に蓋をして、義務感とこうあるべき!みたいなのに合わせて頑張ってきたから、すっごい虚無感しかなくて。
え?私っていま何を感じてるんだっけ?
私ってどんな感情?すらわからなくなりました。
生きてるのめんどくさいレベルになった時、
せっかく死ぬなら見知らぬ誰かの幸せに貢献して死ねたらいいかと
本気でカンボジアで地雷掘りをしにいこうとすら思っていました。
(だって、死んでもいいし、そんな危険任務日々こなして、お!!!死なずにすんだわと、生きてることへの感謝や希望が出たらそれはそれでいいことやん、と思ってました)
おもたーーーい話になってしまいましたが、そんな絶望の時期を味わい、
大事にしたいなと至った結論が、
『希望を持つことと喜びを共有すること』
一番最初に、自分の気持ちに自分が寄り添おう‼‼‼
エネルギー循環は女性から男性。
女性が満たし整いあふれたものを男性が受け取る。
結果、楽しそうな大人がいれば子どもだって大人になることに憧れる。
(このあたり語ると長くなるのと、文章だけでは表現しきれないのでシンプルに)
まずは自分自身を満たし整えること。
その最初の一歩に何でもない日常の中でDress for Twoアイテムでおしゃれして街に出る。は、いかがでしょうか?
生命力あふれる色と柄のアフリカ布を身にまとうことで、
あなたを後押しできますよー❤️
そして、華やかな装いの人が街にいると、それだけで景色もハッピーになります。
女性一人一人の内面から、喜びを繋げていきたいという思いでこのDress for Twoを立ち上げています。
このDress for Twoは2019にスタートし、手探りで活動してきています。
今回、より多くのはんぶんこを繋ぎ、Dress for Twoの物量も物流も整えるためにクラウドファンディングをスタートさせます!(2020/02/05スタート)
共感してくださったら、ご支援お願いいたします。
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